D'angeloのリリック。

 

音楽を聞くとき、歌詞は耳に入ってこないことが多いけれど、ここ何ヶ月かでD'angeloの歌詞を調べるようになった。

 

『Black Messiah』を除いて、『Brown Sugar』、『Voodoo』で綴られる歌詞は、ほとんど恋模様が多い。時には、その歌詞が「稚拙」と評されることもある。

でも、音の空気感や彼の声、歌い方も相まって、素敵だなとおもう。

 

人になにかを伝えようとするとき、うまく伝わらないときがある。

それは、伝え方うんぬんはあるかもしれないけれど、一つ一つの「言葉」に対する個人の思い(解釈・定義)が異なるから。

 

音楽もまた似ていて、人によってどう聞こえるかはその人の思いやバックグラウンドによって変わるし、その時の状況や場所によっても印象が違ってくる。

 

「言葉」には大きさがあって、抽象的な言葉もあれば、具体的な言葉もある。

具体的に言えば、伝えたい相手には伝わりやすくなるし、抽象的に言えば、その人自身の解釈に委ねられる。

 

言葉で表現するのは難しいけど、音楽にも、抽象的な音楽と具体的な音楽があると思っている。

 

たとえば、ポストロック(僕の解釈ではアンビエントバンド)に代表されるSigur Rosは、抽象的な音楽だと思っていて、

 

あまり良く聞かないから断定はできないけど、彼らの音楽の美しさ、切なさは、ゆるいBPMに不協和音が漂う浮遊感、脈打つビートもあるけれど、抽象的な音楽によって、その音楽の解釈が人それぞれに委ねられるからだとおもう。

 

つまり、人それぞれのその時の感情との重なりによって音楽がきまる。
抽象的な音楽に自分のバックグラウンドが重なることによって、感動が深まったり、陳腐に聞こえたり。

 

そしてまた、歌詞の抽象的な表現も、その人の解釈に委ねられる。
ファンキーモンキーベイビーズに代表されるシンプルでありきたりな抽象的な表現が、
実際に人のこころを動かしているのは、ここで言う、「人それぞれが解釈してバックグラウンドを重ねて聞いているから」だと思う。※あの音楽で歌詞なんて入ってこないけど。

 

D'angeloの話に戻すと、彼の歌詞が稚拙だと言われるのは、言葉や言い回しがありふれたものだからなのだろうか。

それでもぼくは、彼の描く歌詞に、自分のバックグラウンドを重ねて、今日も聞いてる。前よりもずっと、大切に聞いてる。

 

 

 

 


ポエマーかっつって。